昭和52年02月16日 朝の御理解
御理解 第52節
「信心する者は驚いてはならぬ。これから後、どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはならぬぞ。」
いよいよ神様を分かり、信心させて頂かなければ、出来る事ではありませんし、それが出来ずして驚かんというのは、それはから度胸いうならば、くそ度胸だと言う事になります。神様をいよいよ分かりそして神様を信じる。そこからどの様な事が起こってきても、驚かんですむという信心が生まれてくるのです。昨日は北野の堤さんの所の、まあ恒例の宅祭りでございましたが、久富先生が昨日朝から御用をしておられましたが。
昨日あちらへまいりましたら、堤さん方の宅祭りには、もう何時も寒うしてから、雪がいつも降るが、どうしてじゃろかと言うて、まあ家族の方達がその話されてる。久富先生が、それに対して「あんたどんが、いつまっでん目が覚めんけん、神様が目の覚めるごつたい。」ち言わっしゃったという話を一番に聞きました。しかしそれはやっぱ本当だと思います。目が覚めると言う事はどうい事かと。
本当にもう目が痛いごと開かん。けれども、冷たい水で顔をブルブル洗うたり、頭洗ったりしておりますと、目がパッチリ覚めるようなものじゃないでしょうかね。「そらあんたどんが、いつまっでん目が覚めんけん、神様が目の覚めるごとたい。」ち言わしゃった。そう言う事がね。段々信心でいただかせて頂いておるうちに、一つ目が覚めるようなおかげ。目が覚めると言う事は、今天地の開ける音を聞いて目を覚ませと仰る。そういう大変な、開眼が出来るわけです。
「信心するものは、肉眼をおいて心眼を開けよ」と仰る。心眼を開かせて頂くと、そこには、神愛があるのみであり。有難いとお礼を申し上げるほかにはないのである。あれほどしの信心をしござるとに、どうしてあげん貧乏せらっしゃらんならんじゃろか。あれほどの、一家を挙げての信心しござるとに、どうしてあげん、次々と難儀なことが起こるだろうかと言うのが、私が終戦後引き揚げて帰った時の、これはま私を知った人達の、それは噂又はある場合は、嘲笑もあったかもしれません。
金光様はもう当てにならんじゃないかと。それがそういう例えば、ギリギリの問題に取り組ませて頂くたんべんに、いうならば目が覚めてきて、今までの信心のいわばおかげ信心に気が付かせて貰うて、そして本当の信心にならせて頂こうという開眼が、そういう次々と信心しておって、どうしてというような時に、私は目が段々覚めてきたのではないかと自分で思います。
そしてそれをいわば、神愛と分からせてもらうところから、どのような事が起こっても、どっこいと受くる元気な心も、もうそれこそ一歩だって後ろへ引かんで済む信心がね。それこそ、よろめきもなからなければ、迷いもない信心が段々出来てきたんだと、私は思うです。昨日東京の、あの常盤台からこれは年に何回か出る、あのあちらからの機関紙で、これはあの泉尾教会の、確か二番目の息子さんだと思います。ご長男が後を継いでおられますからね。が若先生ですから二番目のお方だろうと。
段々大変おかげを頂いておられますなかに、今度親教会である泉尾教会の、五十年の記念祭がこの正月でしたか行われましたが。それ前に直撃インタビューと親奥様に聞くという、そのところがございます。いわゆる今の三宅先生とご一緒に、ご苦労なさった親奥さんの事を、まあ一問一答して私はもう途中からもう、涙がこぼれてからもう、どうにもこうにもしようがなかった。
大変なところを通っておられるからこそだと言う事でございます。やはり玉水教会でご修行なさっておられ、当時の修行生としての、親先生はどんなお修行なさいましたかと。奥さんは、そこで熱心なご信心をなさるご両親とも。で子供のときから、連れられてお参りをしておられて、いわば現在の三宅先生とは、お参りをするたんべんに、お早うございますを交わすぐらいな事であった。ただ目についておるのは、もう下足番をなさっておられ、お便所掃除をなさっておられ。
もうたすき掛けで袴をこうからげて、独楽鼠のように動いて、御用を頂いておられることが、非常に印象に残っておりますと言っておられたですね。教会修行というのはそうであった。そして布教に出られたその翌年、玉水の親先生のお声がかりで、あの結婚させていただきました。結婚させて頂いて直ぐ当時のいわゆる、今の学院であります修徳殿に入られた。奥様はそん時に初めてその親先生から手紙が来たと。
もうそれこそ胸ときめかして、封を切らせて頂いたら、広告の裏に書いてあったそうです。そしてこう言う事が書いてあった。教会所の家内にならせて頂くのだからと言うので、今の学院に入らせて頂いたのでございますが、その時初めて親先生からお手紙を頂きました。心ときめかせて封を切りました。一同笑いと。ところがそのお手紙と言うのは、広告の紙の裏に書いてありました。
一銭を粗末にする者は一銭に泣かねばならない。教会所に来れば、全てをささげて、人の為に尽くし自分を無にさせて頂く覚悟が要るという手紙でございました。私としましては、優しい言葉を期待いたしておりましたが、そんな甘い私の心もその親先生のお手紙を頂いて、しゃんと致しました。というのはそれまでは、家でお嬢さん育ちで暮らしてまいりました。修徳殿の生活がきついと思うていました私も、このお手紙で初めて心定めがさせていただきました。
「では、お教会に嫁がれてのご生活は、どうでございましたか。」という問いに対して、「それは、口では表すことが出来ません。今の泉尾教会しかご存じない方には、絶対に想像もつかないと思います。最初からお下がり生活、買わない生活と括弧してある。でしたから、文字通り、食うや食わずの毎日でございました。」ご信者の方が経済で困っているというお届けを受けられたとき、嫁入りのときの着物を泣きながら、質屋さんに持って行ったことも、今となっては有難い思い出でございます。
親先生もそれこそ必死のご修行でございました。今でもはっきり覚えておりますことは、その当時、御神前に出刃包丁を置いてあったのでございます。びっくりしてお尋ねいたしますと、親先生は、命をかけて御祈念をさせてもらっている。人の助かりのために、いつでも死なせて貰う覚悟だと、決然と申されました。夜通しの御祈念が幾晩も続きました。苦労しらずの私は、良くしかられましたが、お母様(親先生の母上様)が、ご自分の娘以上に、私をかばって下さったことも忘れられません。
と言った様な事が、ご苦労時代の事が、色々出ておるわけですけれども。実にその当初から命をかけておられるですね。そして思わせて頂くのはです。「一銭を笑うものは、一銭に泣く」と言う事でございます。私はそう言う所からね、積み上げた信心でなからなければです。必ず崩れると思うです。私は昨日堤さんところを、早く帰らせてもらって、昨日は、富久信会でしたから、それでももう十時でした。
参加さしてもらいまして次々に、皆さんの発表を聞かせて頂いたんですけれども、石井信司郎さんの発表を聞かせて頂いて、本当にあの感動しました。というのは、今度の、合楽便りのあの奇跡シリーズに、あのむつやの事が取り上げられております。いうならば奇跡的におかげを受けて、また売れたまた売れたと言う様な繁盛を続けた時代があったかと思うと、それからは次々とあのいうならば、難儀なことが続いております。信司さんの妹さんになりますかねえ。
それからお母さん、そして田代の叔母さん、そして佐代子さんと。本当に金光様の信心すりゃもうとにかく、死に絶えてしまわにゃんじゃないかと、むつやの遠いまあ親戚の方が、飯塚の安藤さんがお友達だそうですが、もう「合楽だけには参りなさんな」と言うて、忠告してくれたことがあったち言うて。「どうしてや」と言うたら「合楽に行きよった、私げの親戚は、むつやですが、死に絶えてしまいよろが。」と、言われたようなことがあったというほどしに難儀が続いたわけです。
そうしただけの事ではない。店の事人間関係の事様々ななかに、よっくそればってんもう、金光様の信心てんなんてんと言わずにね。信司さんがあの付いてこられたという、あの付いてくると言うが、そこを突き進まれたと言う事です。そして昨日のそのお話の中に、ここの五年祭の記念祭の時には、こういう程度の信心であったが、この十年祭を目指して、今年の私の信心の腹の中に決っておるものを、いわゆるここまで自分がお育て頂いたという事が有難いという発表をなさいました。
いわゆる本当にもう、一銭を笑う者は、一銭に泣く。もうそれこそあのそういういわば、信心で言う私は信心とはそういう信心だと思う。だから私は先日編集の方達が信司さんを中心にしてお話をする時に、私も一緒にかたって、あの話させて頂いた事でしたけれどもあんたんところは、本当にあの親達叔母さん達の、それこそ人の真似の出来んような信心修行を。そして普通からいわゆる、肉眼で見るとどうした事であろうかと言う様なところをです、通り抜けたと言う事。
しかも一歩も後ろに引かずに、通り抜けたと言う事。それからといって、熱烈に信心をしたという訳じゃないけれども、そして問題難儀な問題たんべんに、例えばあの私が、信司さんに対して申します事は、「信司さんあんたが汚なかけんばい」て、「あんたが、美しゅうするなら、その問題は一遍で解決するよ」と。「あんたが大きくなることだよ」と。もうこの二言しかなかったです。それこそ親先生が、面見苦しいぐらいに思うた時もあったろうけれどもです。
それをやっぱりほんなら、また次の問題が起こると、やっぱあのお伺いに見える。またはあの驚きなさると。そしてやっぱり言われる事はそれだったと。それが、ほんなら、それこそ一銭、二銭と貯め上げていくように、いつの間にか自分が五年祭のときと、今年十年祭を迎えるに当たっての、自分の心組み心構えというものが、これほどにいうならばそれを発表はされませんでした内容は。けどもこれだけに自分の心が育っている。まあ合楽の、年は若いですけれども、なら幹部総代と言う様な方達がです。
される位な事は、私はさせて御用でも頂かなければ、まあおれないようなものが心の中に育っておると言う事が私は有難いという風に言っておられたようにです。私はその信司さんを中心にしてお話し合いをした時に、「あーたのところの信心はね。本当に日勝り、月勝り、年勝りばい」ち。そしてもう「あなた方の信心な、代勝りのおかげにはいっとるよ」と言うて話したことでした。親の徳が残らないはずがないです。それをほんなら幾ら残っとっても子供が、テレンパレンしとるなら仕方がないです。
なるほどむつやでは、金光様の信心しよら死に絶えると、人から言われよる時があったけれども、そこを乗り越えて、初めておかげを頂いて、なるほど神様じゃなあ、なるほど金光様じゃなあと言われるおかげを頂くためには。いうならば過去の信心のその根肥しという、親の信心の残された徳というものを、掘り上げて掘り出してこそいうならば、子供の信心があるという事だけではなくてです。
これが代勝りのおかげにならないはずがないと言う事です。もう「代勝りの信心、おかげと言うものは、もうむつやにはちゃんと備わっておる。それを頂いていくという信心だ」というふうに私は思うがねと言うて話した。なら合楽でまあだそれこそ日勝り、月勝りのおかげを頂いておっても、「あんた方は代勝りのおかげを頂いたばい」と言われる人は、一人も無かと私が言う。
言うならこれからのむつやの、いうならば前途というものをです。そういうまあ洋々たる、いうならばおかげを頂いていけれる代というものが。お母さん達の信心によって、培われておったと言う事。そう言う信心がです、私はそれこそまあ信心するものは、これから先どの様な事が起こってきても驚いてはならんぞと。と言う事はね。不足に思おうたり。どうしてじゃろかと言う様な事を思うて、ぐずぐずしてはならんぞと言う事にも、意味が当てはまると思うんです。
そらほんならまあ、思うたかも知れません。どうしてこげん、本当に親達があれほどの信心しとったのにと思うこともあったかも知れません。けれどもそこをほんなら、泣く泣くでも辛抱し貫いておるという、そこが一銭一銭をいうならば一銭を笑わずにです。それこそ神様の働きの、それこそ一銭にもぐらいなと言うでしょうか。信心しよってどうしてと言った様な事を、なら大事に大事に積み上げてきて、初めて代勝りのおかげを頂いてです。初めていうならば驚かんですむちゃ。
とても私達の信心の過去というものを思うて見たら、あんな事があったけどもあれが、みんな今のむつやの繁盛のおかげの元になっとるよと言えれるところまで、信心が進んで、おかげを受けた時に初めて言えれるのが、驚いてはならんぞと言う事ではなかろうか。また、それが見えてくる時じゃなかろうかと思います。ただ信心しよるからいっぺんには、そのどっこいとそういう神様を信ずる力も。頂いておると言う事もなしにです。例えば。その受けたというのは、それは普通で言う、度胸の良さであって、それは信心度胸でもなんでもない。
まあ信心でいうならばくそ度胸のようなもんだと。だからくそ度胸ではない、本当に、神様がです。どのような場合であっても、どっこいと驚かんですむのは、そういう永年の体験を積んで、実際見てきて、自分が味おうてきて、初めて言えることじゃなかろうかと思うですね。どうぞ泉尾の先生が、初めてその、学院におられる親奥さんに、いうならば、初めての花嫁さんに対する手紙がそれであった。一銭を笑う者は、一銭に泣かなければならないという。
そう言う所を積み上げた上にも、ほんなら億万の金を積み上げてもですびくともせん。びくともせんと言う事は、それを。軽視しない。本当に神様の御物として扱われるおかげが頂かれるから、神様がこの氏子にはどれだけの物を持たせても。もう大丈夫というその度胸を見込まれた時、言うならその信心を見込まれたときに。なるほどそういうびっくりしなきゃならん、驚かねばならないような時に驚かんですむ信心という、その土台が出来てから、頂くおかげが本当のおかげじゃないかと思います。
どうぞ。